会社情報COMPANY 
PROFILE
			社長メッセージ
明治41年の創業以来、当社は厳選された美味しいお肉を広く皆様の食卓へお届けすることに専心してまいりました。殊に北陸において当社の商品は「天狗乃肉」として長年親しまれております。
 近年、食肉業界を取り巻く環境は著しい変化を遂げております。当社では激変する時代において、消費者の求めるものを的確に判断し、それらを新鮮で安全な状態で供給する努力を日々続けております。食肉を通じて豊かな食の未来を創造し、社員の和、さらには社会との和を広げてゆく。これこそが食関連産業のあるべき姿ではないかと考えています。
 今後も社会に健康で喜びに満ちた食生活を提供するために、社員一丸となって努力してまいります。今後とも倍旧のご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
取締役社長![]()

会社概要
| 会社名 | 株式会社 天狗中田本店 | 
|---|---|
| 所在地 | 〒920-0995 石川県金沢市新竪町3-88 | 
| 電話 | 076-221-0298 | 
| 資本金 | 3,000万円(60万株) | 
| 創立 | 明治41年11月 | 
| 代表取締役社長 | 中田 二郎 | 
| 事業内容 | 
								
  | 
						
| 従業員 | 計140人(男70人/女70人) | 
| 関連会社 | 天狗中田産業株式会社     株式会社ミート・リポ  | 
						
| 取引銀行 | 北国銀行 城南支店(金沢市)/ 北陸銀行 金沢支店(金沢市)  | 
						
沿革
| 明治41年11月 | 金沢市新竪町で食肉販売店を創業。商標を「天狗」として売り出す。初代店主は中田岩次。 | 
|---|---|
| 明治44年 | 金沢市郊外に牧場を作る。 | 
| 大正元年 | 金沢九師団の食肉御用達店になる。 | 
| 大正2年 | 金沢市石浦町に支店を初めて開設。 | 
| 大正8年 | 中田岩次死去。中田岩次郎が二代目店主となる。 | 
| 大正13年 | 摂政宮殿下ほか三皇族が御来沢された際、御用命を受けたのを機に、本店の店舗を改築。同時に正面の屋根に総桜づくり、朱塗りの「天狗の面」を据え付ける。以来金沢の名物となる。 | 
| 昭和8年 | 本店二階にすき焼き部を開設。こんにちも営業を続ける。 | 
| 昭和10年 | 牧場隣接地に骨脂の加工品工場を設置。 | 
| 昭和12年 | 皮革指定仲買人となる。 | 
| 昭和16年 | 食肉統制令発令で取引制限となるが、この間に支店数は、北陸三県にわたり三十店に拡大。 鳥取、広島両県に活牛の買い入れ所を出す。  | 
						
| 昭和17年 | 家畜商取締規制による牛馬豚商の免許証を受ける。石川県内の官衛、学校、会社、大学病院、工場などの指定店となる。 | 
| 昭和23年 | 株式会社に改組。株式会社天狗中田本店を設立。資本金二百万円。初代代表取締役に中田岩次郎が就任。 | 
| 昭和24年 | 金沢市の大和デパート精肉売り場に出店。 | 
| 昭和28年 | 金沢市の金沢ステーションデパート売店に出店。 | 
| 昭和31年 | 新竪町二丁目店を開設。 小松市の本折乃店を開店。 | 
| 昭和35年 | 中田岩次郎死去により、中田雄次郎代表取締役社長に就任。 | 
| 昭和37年 | 金沢市の金沢ビル売店に出店。 家畜部門を開設。 | 
| 昭和38年 | 金沢市の丸越デパート精肉店に出店。 | 
| 昭和43年 | 金沢市西金沢に卸売り部門を独立し、天狗中田本店食肉センターを開設。 | 
| 昭和50年 | 増資により資本金三千万円となる。 | 
| 昭和51年 | 野々市町の北陸ジャスコに出店。 | 
| 昭和52年 | 食肉センターが部分肉格付工場として認定をうける。(認定G―141) | 
| 昭和54年 | 包装肉部門・ポーションカット部門を独立し、天狗中田本店パックセンターを開設。 | 
| 昭和56年 | 川崎市に東京営業所を開設。 | 
| 平成3年 | 金沢ターミナル開発(株)金沢百番街に出店。 | 
| 平成6年 | 金沢市押野に食肉センターを新築移転。 | 
| 平成9年 | 白山市食品加工団地にパックセンターを新築移転。 | 
| 平成10年 | 小松市の大和小松店に出店。 中田雄次郎代表取締役会長に、中田二郎代表取締役社長に就任。 | 
| 平成16年 | 石川県金沢食肉流通センター内に、天狗中田本店金沢ミートパッカーを開設。 お客様により一層の安心とおいしさをお届けするためにISO9001を取得(認証番号:SGS/J/Q1178)  | 
						
| 令和2年 | パックセンターにてSQF認証(認証番号:45045)を取得 |